人が聖霊の道よりも肉の思いに従おうとしたときに罪が生じたのです。
その結果、人は神の顔を避けて生きるようになりました。
(リーディング番号:900-227)エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集 P226
エドガー・ケイシーは“神の祝福の水路”として生きる事を推奨していますし、ホオポノポノではメモリーを消去した状態のためにクリーニングをします。
どちらでも肉の欲求、つまり自らから生じた欲望に対しては好ましくないものと否定し、戒めの対象としています。
「神の顔を避けて生きる」とは、後ろめたさからの態度です。
人はたとえ意識では否定しようとも、心のどこかでは、肉の思いに従う後ろめたさを感じているのではないでしょうか。
今は良くても、人はかならず死ぬ存在です。
その避けられる運命の時、神の顔を避けて生きた事は後悔の念として襲い掛かってきます。
罪は作らない、神にも堂々と生きていく、少なくとそう生きようとする事が豊かな人生に結びつくように思います。