神と共にあるという自覚が深まるにつれて平安がもたらされ、
それによってわたし達の孤独や不安は一掃されます。『神の探求〈1〉』P193
神が共にあるという自覚は、将来への確信でもあります。
人生で究極の将来展望は『死』ですが、神はそこにも保証をもたらします。
神、あるいは仏でも呼び方は何でも構いませんが、それを受け入れるも否定するも人生は自由です。
どのような人生を過ごそうとも、それが学びなのでしょうから。
ただ学びを重ねていくことで、やはり神に敬虔にならざるを得ないのではないでしょうか。
もちろんそれを否定することもまた自由ですが、それは堅くなに目をつぶり現実が見えていない事なのかも知れません。
狂信ではいけませんが、冷静さと感覚のバランスをとる事で見えてくるものがあります。