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心理士の国家資格化

私は今回参加しなかったのですが、9/21に日本心理臨床学会で資格関連シンポジウムが開かれています。
参加された方のブログやmixi日記を見ていると、国家資格化への道のりは険しいものの確実に進展はあっているようです。
これは文字通り政治的な話ですので、そこにどう訴えていくかが大切そうですが。

ただ“国家資格化に向けて闘う!”というよりは、“国家資格化の必要性を理解、周知してもらう”という感じでしょうか。
これまでの活動を見ていても個人的なイメージではそうですし、そういう心理士としての振る舞いを忘れない事が、結果的には心理士の必要性・独自性をアピールしていることになっていると思います。

進展はしているといってもまだまだ予断は許さない状況ですが、臨床心理士の活動が社会に認められるよう、私も目の前の事に一つ一つ取り組んでいこうと思っています。

臨床心理士の地道な活動が基盤となって、国家資格化に理解を示す人が増えていくのでしょうから。

[感動]レジ打ちの女性(涙の数だけ大きくなれる!)

好きな動画の一つ。
見ながら、前に読んだ中村文昭さんの本を思い出しました。
色んな生き方、色んな仕事がありますが、自分に与えられた環境でどう精一杯にやっていくか、その積み重ねが人生を左右するのだと思います。
そんなことを改めて思い出させてくれた動画です。

病あるいは不快は、あなたが理想との間に摩擦を起こしている状態です

病はまずもって不快感に始まります。
それは健康そうに見えても体内のバランスが崩れ出している状態です。
病あるいは不快は、あなたが理想との間に摩擦を起こしている状態です。
それで、「病は罪」といわれるのです。
(リーディング番号:2533-3)

『神の探求〈1〉』P168

『心身相関』と言いますが、この場合は『霊身相関』とでも言ったら良いでしょうか。
人は誰でも仏性がありますから、そこに背いていてはバランスが崩れ、病や不快感となって表れます。

時には仏性を完全に閉じ込めてしまっているような人もいますが、長い目で見ればそれは不幸なことです。
自分が何をしているのかを分かっていないのですから。

医療機関で働いていると、体内のバランスを崩している方にはよく出会います。
それは心身相関ないしは霊身相関とういう観点から捉えると、確かに摩擦が起きています。
その摩擦自体が一種のメッセージですから、本来なら悪化する前に摩擦に気づき、それが改善するようにしなければなりません。
病気はそれを怠った結果ということが往々にしてあるのです。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

時を刻む唄

アニメ『クラナド アフターストーリー』のオープニング曲。
ふと思い出しては何度も聴いている曲です。

素で聴いても良い曲ですがクラナドのストーリーを知っていると、もうね、感情が溢れてきますよ。
マジおすすめ。



藤崎八旛宮秋季例大祭

今日は飾り馬が特徴的な祭り、藤崎八旛宮秋季例大祭でした。
略して藤崎大祭とか、ただ例大祭と言ったりもしています。

私自身はこれまでに一度しか参加した事がないのですが、今年は久々に見学に行き、お馬さんを中心にビデオ撮影。



ただこの祭、色々と批判も出ています。
まず馬を囃し立て、故意に暴れさせる団体もありました。
祭の本質は神事のはずですし、どの団体も「奉納」と書かれたのぼり旗を持っている人がいます。
それなのに無意味に馬を煽り、虐待ともいえる行為はとても神事を行なっているという精神が感じられません。

また実際、飾り馬との事故でよく怪我人が出ています。
今年も二人、骨折などがいたとニュースでやっていました。
この事故が上記の虐待と関係しているかは分かりませんが、今の祭の形態に事故の誘発要因があるのは確かです。

昔は飾り馬に酒を飲ませるなどしていたそうですし、神事と宴会での馬鹿騒ぎの区別がついていないのでしょう。
参加者を見ても酒を飲みながら歩いている人がいましたし、やはりただ騒げればいいという参加者も少なからずいそうでした。

この藤崎八旛宮秋季例大祭は熊本の大々的な祭ですが、このような理由から嫌いだという人もけっこういます。

参加者の全員がそうだとは言いませんが、神事という本質を忘れて騒ぐだけの形骸化した祭になっていると、そういう印象を持ちました。

正直、この祭は熊本のイメージダウンになっているようにさえ思えます。

村上理恵さん(助産師)

昨日に引き続き、熊本代替療法研究会の関連で。
研究会のメンバーでもある助産師の村上理恵さんが、今日の朝刊に掲載されていました。

(画像をクリックすると拡大表示されます。)
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熊本代替療法研究会 第11回定期勉強会

今日は熊本代替療法研究会の勉強会があり、今回は私が発表の番でした。

タイトルは
「エンカウンター・グループによる予防的アプローチ」
と、これまでにやってきたグループ・ワークについて説明。

今勤務している病院に隣接している専門学校でも、近いうちにグループ・ワークをしようという話になっています。
今回の発表は自分がやってきたことを見直すという意味でも、自分にとって有意義な時間となりました。

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余談ですが、今日は二日後に迫った藤崎大祭の準備で、途中で何頭もの馬を見かけました。
その影響か道が非常に混んでいて、会場についたのが開始時間ちょうど。
関係者の皆様には申し訳なかったですm(__)m

怒りは脳を破壊することさえあります。 それ自体、心の病ですから。

怒りは、どんな病とも同じく、脳を破壊することさえあります。
それ自体、心の病ですから。
(リーディング番号:3510-1)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P69

自制心が大切です。
怒りに身を任せることは自分の未熟さ、愚かさを表現することになります。

実際それは心の病気といってもいいでしょう。
病気は心因性、内因性、外因性と分けられますが、心の持ちようが病気の原因となることが多々あります。
また短気や攻撃的といった特徴のあるA型行動パターンの人は、心臓疾患になりやすい事が知られています。
心身相関と言われるように、心と体は繋がっているのです。

怒りの炎を燃やし続けると、ゆくゆくは我が身を焦がすことになります。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

思うこと、考えることは、それ自身が行為である

思うこと、考えることは、それ自身が行為であり、
それは奇跡を生み出すものにもなれば、犯罪にもなります。

『神の探求〈1〉』P45

スピリチュアルな視点でいえば、心の中で思った事、考えた事であっても、その想念は現実世界に影響を及ぼします。
人は行動に起こした事のみならず、自らの思いにも責任を持たなければならないのです。

これが病的になると魔術的思考となり現実検討力が低下した状態となります。
しかし全てを魔術的思考だといって否定するのも、もしかしたら現実検討力が低いのかも知れません。

想念に気をつけ、しかしそれだけではなく現実社会でも地に足をつけて生きていく、そのバランス感覚が問われているのが現代という時代なのだと思います。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

阿蘇観光 その2

昨日に引き続き、友人を連れての阿蘇観光。
今日は友人の希望もあり、阿蘇に限定しての観光にしました。

道順は以下の通り。

池山水源 ⇒ (道の駅)波野 ⇒ 仙酔峡 ⇒ 米塚 ⇒ 阿蘇火口 ⇒ 大観峰 ⇒ 黒川温泉(到着)

こうやってみると、今日も多少はハードだったかも。。。
私の中では高千穂も考えていたので、それからしたらかなり控えめですが。

今日撮った写真で一番のお気に入り。
米塚を撮るために道路の途中で停まったのですが、反対側の山の斜面が美しく、空の青と山の緑がとても映えていました。
(画像をgoogleのPanoramioにリンクしています)
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阿蘇観光 その1

友人が名古屋から熊本(というか阿蘇)に観光で来たので、色々と道案内してきました。
回ったのは、

黒川温泉(宿泊地) ⇒ 鍋ヶ滝 ⇒ 池山水源 ⇒ 国造神社 ⇒ 阿蘇神社 ⇒
阿蘇火山博物館 ⇒ 高森湧水トンネル公園

え~、いつもの自分のペースで運転&移動してしまい、ちょっと友人としてはハードだったようです。。。
実はこれでも、私の中では予定を減らしたほうでしたが(^^ゞ

とりあえず、最初に寄った鍋ヶ滝での一枚。
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正しいとわかっていることを無視して作り上げてきたものがカルマです。

正しいとわかっていることを無視して作り上げてきたものがカルマです。
(リーディング番号:257-78)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P318

歴史を紐解けば様々な国があり、文化があり、時代がありました。
その中には今の常識からすると残酷だったり異常だったりするものも数多くあります。

しかしそれらを善悪は、異なる時代にいる私たちに判断出来ることではありません。
人は誰でも、その時代や環境を無視して生きることは出来ないのですから。

そしてカルマも同様に、ただ言動だけで第三者が判断出来るものではありません。
人によって受けてきた教育や能力に違いがあるのですから。

ただ、やれる事がありながらそれをしなかった時にカルマは作り出されます。
知らなくてやれなかった事ならば、その人に責任はありません。
しかし正しいことを分かっていたのなら、それに取り組むことが人としての義務です。

その義務は強制されるものではありません。
ただし、義務の放棄はカルマとして重くのしかかってきます。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

講演

今日はスクールカウンセラー先で依頼された講演をしてきました。
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プロセスワークを中心に話をしたのですが、終わっての感想をみるとちょっと難しかったようです。。。
中にはきちんと受け取ってくれた人もいたようですが、自分の技量がまだまだだと反省。

勉強しないといけないことがいっぱいです!

モリンガ その6

一度は生長が止まりダメかと思ったモリンガですが、新たに出た芽が順調に生長中。

2009.8.21
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2009.8.26
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2009.9.5
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はじめに出た芽は枯れましたが、同じ種から出てきた別の芽がたくさんの葉をつけています。
「あきらめたらそこで試合終了」なんてセリフが某漫画にありましたが、こういう一生懸命さは見てるこちらも勇気付けられます。
一度の失敗や挫折で、全部が終わりだとは限りませんもんね。
時計
プロフィール

enju3946

Author:enju3946
 実学の視点からスピリチュアルを大切にしている臨床心理士。熊本市に在住ながら、仕事やドライブで熊本県を動きまわっています。これまでに児童養護施設、こども家庭支援センター、スクールカウンセラー、専門学校の非常勤講師、病院、若者サポートステーション、刑務所と、様々な職場で働いてきています。

 私にとって不毛な議論をするつもりはないので、スピリチュアルが苦手な方は価値観の一つとしてお読みください。
 私自身それを絶対化して人に強制するつもりはありません。

熊本代替療法研究会 会員

熊本県臨床心理士会 会員

心理系学会への入会は多数。

パソコン関係、カメラが趣味。

CLANNADは人生。

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