わがままやうぬぼれや自慢のために人生を利用する人は、
自分自身を堕落させて、後で償わなければならないカルマを作っているのです。
ですから、心と体において、どんな過失や試練や誘惑に出会うとも、
「私の心ではなく神の御心が行なわれるように」
の態度をもって、解決に当たらなければなりません。
(リーディング番号:440-5)エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集 P320
輪廻を受け入れて人生を歩みだすと、“自分”というものが絶対の判断基準ではなくなります。
人生が一度きり、死後には無に帰すだけだとしたら、人生のテーマは
「いかに自分の欲望を満たすか、享楽を体験できるか」
ということになるでしょう。
しかしその結果人の欲望と欲望がぶつかり合い、憎悪や慢心、嫉妬が渦巻くことになります。
ギスギスした生きにくい世界です。
そうやって巡りめぐって自分の首を絞めないためには、自分の外側に判断基準を置かねばなりません。
それも
ただ何かを妄信、盲信、狂信するのではなく、得心(心から納得すること)してこそ、自分の人生に根付かせる事ができます。また得心のレベルまでいかないものなら、まだ自分の理解が未熟か、さもなければその信じようとした対象に欺瞞があるからです。
その事に気づくためにも、得心が必要なのです。
私にとって外側の判断基準はいくつかありますが、このエドガー・ケイシーもその一つです。
わたしはケイシーとの出会いによって、それまでの知識を統合でき、より自分の信念に自信を持つことができました。
それらは私の人生の杖となっています。
theme : スピリチュアル
genre : 心と身体