著書が多くマスコミにもよく登場する斎藤環氏が、ホメオパシーについて毎日新聞に掲載していました。
斎藤氏もホメオパシーはプラセボでしかないと思っているようですが、そこから先の考察にはちょっと違和感を持っています。
まず第一に、バッシングの過剰な盛り上がりは、重要なトピックを<祭り>として消費してしまいがちだ。後に残るのは忘却だけということもままある。 |
斎藤氏は“バッシング”という表現を使っていますが、本当にそうなのでしょうか?
私としては“注意を促している”としたほうが適切だと思っています。
最近は銀行に行くと振り込み詐欺を警告するポスターがよく貼られていますが、これもやり過ぎると『後に残るのは忘却だけ』だと斎藤氏は言うのでしょうか?
一般論として過剰な盛り上がりが<祭り>として消費されることがあったとしても、それを今回のホメオパシーに当てはめることは認識がズレているように思えます。
第二に、どれほど過激なバッシングを展開しても、<信者>の態度変更にはつながりにくい。 |
これは私も同意ですが、しかしだからといって“注意を促す”ことが無意味だとはなりません。
注意を促し続けることで、これ以上の信者を増やすことは防止できるでしょう。
信者の脱カルトはまた別の問題として対処法を考えるべきです。
第三に、ホメオパシーバッシングの背景にあるエビデンス(医学的根拠)至上主義の危険性である。もちろん現代医療はしっかりした 実証研究によって得られたエビデンスに基づいて、実施されなければならない。私もそうしている。ただしそれは、倫理や真理とは無関係な説明責任の問題である。エビデンスに従わないと訴訟に負けるのだ。 |
これは明確に反対します。
EBMは倫理や真理に基づいた行為です。
現代医療が呪術と離れ、昔のような死亡率を高めていた瀉血療法と決別できたのは、EBMによるものです。
斎藤氏はただ説明責任のためだけにEBMを実施しているような書き方をしていますが、これでは医師としての見識を疑います。
同業の神田橋條治氏がいうように、治療の中ではプラシーボ(偽薬)効果が最上のものであるとする考え方にも親しみを覚える。 (中略) そうであるなら、代替医療を非科学的として徹底排除するのは、むしろ愚かしいことだ。イギリスのように保険適用せよとまでは言わないが、誰でも薬局で買えるようなカジュアルな形で流通させることが望ましい。安価さのメリットを維持するためと、地下に潜ってカルト化することを予防するためだ。 |
ホメオパシーの話題のはずが、いきなり代替医療という言葉に摩り替わっています。
これは一見関係がありそうでも、違うものと混合させミスリードしようとする詭弁の一種です。
今回はあくまでホメオパシーについて語っているのであり、代替医療全般の話ではありません。
またプラシーボ効果は代替医療ではない、普通の薬でも作用します。
いかに処方した薬が最上のプラシーボ効果を出すかは、医師と患者の信頼関係次第です。
そこを見つめ直さずに安易に代替医療のプラシーボ効果に頼るのは、医師としての責任放棄に思えます。
『カジュアルな形での流通』についても、そもそも効果がないものを効果があるとするのは薬事法違反になります。
『安価さのメリットを維持するため』ともありますが、現状ではホメオパシーは安価とはとても言いがたいもので、維持すべきものは何もありません。
またホメオパシーは理論上、元の成分はほぼ入っていないのですから、ホメオパシーを認めることは“水の記憶”を認めることにもなります。
それは霊感商法を後押しするようなものです。
私はスピリチュアルな観点を大切にするからこそ、安易なボッタクリ商法にスピリチュアルが利用されることを嫌悪しています。
今回の斎藤氏の意見は、ホメオパシーの現状をよく理解していないように思えます。
新聞という影響力のあるメディアに出すのですから、もう少し考察を深めてからにしてほしかったです。