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思うこと、考えることは、それ自身が行為である

思うこと、考えることは、それ自身が行為であり、
それは奇跡を生み出すものにもなれば、犯罪にもなります。

『神の探求〈1〉』P45

スピリチュアルな視点でいえば、心の中で思った事、考えた事であっても、その想念は現実世界に影響を及ぼします。
人は行動に起こした事のみならず、自らの思いにも責任を持たなければならないのです。

これが病的になると魔術的思考となり現実検討力が低下した状態となります。
しかし全てを魔術的思考だといって否定するのも、もしかしたら現実検討力が低いのかも知れません。

想念に気をつけ、しかしそれだけではなく現実社会でも地に足をつけて生きていく、そのバランス感覚が問われているのが現代という時代なのだと思います。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

正しいとわかっていることを無視して作り上げてきたものがカルマです。

正しいとわかっていることを無視して作り上げてきたものがカルマです。
(リーディング番号:257-78)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P318

歴史を紐解けば様々な国があり、文化があり、時代がありました。
その中には今の常識からすると残酷だったり異常だったりするものも数多くあります。

しかしそれらを善悪は、異なる時代にいる私たちに判断出来ることではありません。
人は誰でも、その時代や環境を無視して生きることは出来ないのですから。

そしてカルマも同様に、ただ言動だけで第三者が判断出来るものではありません。
人によって受けてきた教育や能力に違いがあるのですから。

ただ、やれる事がありながらそれをしなかった時にカルマは作り出されます。
知らなくてやれなかった事ならば、その人に責任はありません。
しかし正しいことを分かっていたのなら、それに取り組むことが人としての義務です。

その義務は強制されるものではありません。
ただし、義務の放棄はカルマとして重くのしかかってきます。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

祈りは超越者への切なる願いです。

祈りは超越者への切なる願いです。
瞑想は共通の基盤の上で超越者と会合することなのです。
(リーディング番号:281-28)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P260

心は創造主ですから、そこから発せられた祈りは運命に影響します。
祈りとは単なる脳内の精神活動ではなく、個を越えて、トランスパーソナル的に世界に働きかける力のある行為なのです。

また瞑想は心を静かにし、運命からのメッセージを受け取る作業になります。
運命以外にも神、仏、超越者、サムシング・グレート、普遍的無意識など呼び方は様々でしょうが、どれも核心ではつながっています。
それらを信じ、自我を無為にして超個からの有為に身を任せることが、瞑想なのだと思っています。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

聖なる法則はあなた自身の中にしか見つけられません。

聖なる法則。
それはあなた自身の中にしか見つけられません。
(リーディング番号:294-189)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P352

人は自分のレベルでしか物事を見ることができません。
この世にいくら聖なる法則が働き、奇跡が起こっていようとも、それを知るためには自分を高めないといけないのです。

自分の心が開かれていくたびに、世界に精巧に張り巡らされている法則に気づくでしょう。
それは既成概念では信じられないようなことかも知れません。
しかし事実よりも信念を優先させるのは非科学的です。

聖なる法則はあり、誰もがその一部です。
その気づきに辿り着けば、聖なる法則は常に存在していたのであり、今まで自分のほうから背を向けていたのだと分かります。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

常に支えあい、自我をますますなくす関係になりなさい

常に支えあい、自我をますますなくす関係になりなさい。
自分をあきらめるという意味ではありません。
それぞれが相手の最良の部分を補うのです。
(リーディング番号:939-1)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P131

結婚でのパートナーについてのリーディングです。

人にはそれぞれ乗り越えるべき発達段階があります。
時には自我を前面に出すことで得られる必要な経験もあるでしょう。
(たとえそれば苦いものであっても。)
しかし最終的に行き着くところは忘我です。

逆説的ですが、忘我が個性化への道となります。
忘我の反対は我執ですが、これは満たされていない欲求に振り回されている状態です。
欲求は気まぐれで際限がありません。
欲求への執着という足かせを取り払うことで、内面から湧き出てくるその人本来の個性が見えてきます。
その個性が凸凹のように相手と補い合い、長所を伸ばすことにもなるのです。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

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プロフィール

enju3946

Author:enju3946
 実学の視点からスピリチュアルを大切にしている臨床心理士。熊本市に在住ながら、仕事やドライブで熊本県を動きまわっています。これまでに児童養護施設、こども家庭支援センター、スクールカウンセラー、専門学校の非常勤講師、病院、若者サポートステーション、刑務所と、様々な職場で働いてきています。

 私にとって不毛な議論をするつもりはないので、スピリチュアルが苦手な方は価値観の一つとしてお読みください。
 私自身それを絶対化して人に強制するつもりはありません。

熊本代替療法研究会 会員

熊本県臨床心理士会 会員

心理系学会への入会は多数。

パソコン関係、カメラが趣味。

CLANNADは人生。

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