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あなたは規則正しく休み、労働し、心に食べ物を与えなさい

あなたは規則正しく休み、労働し、心に食べ物を与えなさい。
体に食べさせる必要があるように、魂にも食べ物を与えなさい。
食べ物をよく噛まなければ消化不良を起こすように、
心と魂の食べ物も、よく噛む必要があります。
噛むとは応用することです。
あなたは、それによって、何よりも調和の取れた人生を送れるようになるのです。
(リーディング番号:5246-1)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P146

体に食べさせる事なら、怠るとお腹が減りますからずっと気づかないという事はありません。
しかし心や魂に栄養を与える事は、そういう意識を持たないと栄養失調になっていても気づきません。
栄養失調でどんなに貧相な心や魂になっていても、その事に気づかないのですから改善することもありません。
負のスパイラル、悪循環ですね。

人によって魂に食べ物の与える方法は異なるでしょうが、私の場合はこのブログがその一つです。
魂の栄養となりそうな言葉を見つけ、ブログに書く事で記憶に残るようにし、そして理想的にはそれを日常場面で応用できるようにしていきたいと思っています。
知っているだけで実践が伴わない頭でっかちでは、消化不良で何も自分の血肉になっていない事と同じですから。

体にも心にも、調和が必要です。
体にはバランスのとれた栄養を、心にはバランスのとれた経験を。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

主と共に歩み、共に語るなら、あらゆる願望を満たすことがわかるだろう

問:創造的意欲が沈滞気味なのですが、どうすればこの状態から脱することができますか。
答:前に述べたように、あらゆる点で建設的であり、あらゆる特質において創造的であろうとする理想に、しっかり結びつくことだ。あなたが主と共に歩み、共に語るなら、あなたの才能・感情・活動が、精神的・霊的・肉体的自己のあらゆる願望を満たすことがわかるだろう。
(リーディング番号:954-4)

エドガー・ケイシーが示す愛と結婚の法則 P90

意欲のあるなしではなく、その意欲を何に使うのかが問われます。
どんなに言い訳をしようとも、霊的理想からはずれている事にはブレーキがかかってきます。
自らを透き通った状態に保ち、どうすることが建設的で創造的な霊的理想になるかを感じなければなりません。

そして霊的理想は、あくまで自らの中から湧き出てくるものです。
他者から与えられた理想に従うのは依存であり、自由意志を手放した奴隷に過ぎません。

方向性を誤らなければ、必要なものは与えられます。
またその方向性を確認するために、祈りや瞑想があるのです。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

遺伝のほとんどは自分から来るのであり、家族から来るのではありません

遺伝のほとんどは自分から来るのであり、家族から来るのではありません。
家族は魂が世に流れるための川にすぎません。
(リーディング番号:1233-1)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P132

遺伝の研究では双生児での比較が有名です。
一卵性の双生児では遺伝的に全く同じですから、人に影響が強いのは先天的な遺伝か、後天的な育ちかを調査するのに適しているのです。

しかしその研究では遺伝でも育ちでも全く同じようにはならないことが分かっています。
たとえ一卵性双生児であっても全く同じ経験をしていくわけではない事が一つの原因に挙げられますが、エドガー・カイシーによるとそれは魂の違いだとなります。

昔は「氏か育ちか(遺伝か生活環境か)」という議論があり、結局は両方の影響という事に落ち着いています。
しかし実際には遺伝よりも先天的な、過去世で魂が培ってきた経験に今世での人格は影響されるのです。

ただし育児は非常に大切です。
過去世がどうであろうと、そこに今世での経験が積み重ねられていくのです。
ですから子どもの成長には親が責任を持たなければなりません。
しかしそれと同時に、子ども側にもその親を選び、そこでの経験をどのように受け止めてきたのかに責任があることも忘れてはいけません。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

人はその心の存するところのものになる

人は、その心の存するところのものになるというのは、不変の法則です。
なぜなら、心は作り手であるからです。

神の探求〈2〉 P74

心が人を、未来を、人生を形成していきます。
何を思い、どのような感情で生きていくか、それは一般に思われている以上の影響力を持っています。

ちなみに私は医療機関で働いていますが、そこで未熟な心理士が嫌われる理由の一つに“心理主義”があると言われます。
これは患者の問題を心理的な側面で捉えようとするあまり、他の物理的な要因などを軽視しがちになる事です。
これはこれで勉強不足から来る態度で、西洋医学が積み重ねてきた歴史は尊重しなければなりません。

しかしそれとは別次元で、やはり心は作り手なのです。
これを万人が納得するかたちで証明しろと言われると、今の私には無理です。
そういう意味では、これは一つの価値観だとも言えます。

ただ、これは人を幸せにする価値観であると、私は思っています。
努力をせずにただ念じればよいといった現実逃避は困りますが、全ては自分次第であり、その大元が心であると考える事は、自分の人生に責任を持つという事でもあります。

誰かが悪いのではなく、今の状況は自分が呼び寄せたものであり、
変わる事を決意すれば、変わっていけるのが人間というものです。

この二つがターニングポイントになる事はカウンセリングでも数多くあります。

どのような心でいるか、それがもっとも大切な事なのかも知れません。

真理は常に諸刃の剣です

真理は常に諸刃の剣です。
真理は人を切ります。
しかし、切り、癒し、裂くほどに、
日々の問題に対応する力をつなぎます。
(リーディング番号:1402-2)

『神の探求〈1〉』P204

『良薬口に苦し』と言いますが、人の成長は喜びや楽しみに満ち溢れたものではありません。
むしろその逆で、苦しみ、辛さ、悲しみ、失敗という事が人を成長させるということは多々あります。

自分の殻を破る時に痛みはつきものですが、それは一種の成長痛です。
それは自分の過ち、至らなさを認めることですので自尊心の強い人には負担でしょう。
しかし成長とは過去の自分を否定する事であり、それができなければ幼児並みの非現実的な万能感という牢獄につながれたままになります。

真理が人を切るとは、このように成長のためには痛みが必要なことを示しています。
ですから切られることを恐れることはありません。
切られたところから、新しい自分が出てくることができるのですから。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

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プロフィール

enju3946

Author:enju3946
 実学の視点からスピリチュアルを大切にしている臨床心理士。熊本市に在住ながら、仕事やドライブで熊本県を動きまわっています。これまでに児童養護施設、こども家庭支援センター、スクールカウンセラー、専門学校の非常勤講師、病院、若者サポートステーション、刑務所と、様々な職場で働いてきています。

 私にとって不毛な議論をするつもりはないので、スピリチュアルが苦手な方は価値観の一つとしてお読みください。
 私自身それを絶対化して人に強制するつもりはありません。

熊本代替療法研究会 会員

熊本県臨床心理士会 会員

心理系学会への入会は多数。

パソコン関係、カメラが趣味。

CLANNADは人生。

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