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悪意は自分の平和と満ち足りを妨げます。

人を恨み、悪意をもち、争いの種を蒔けば、内なる自分の平和と満ち足りを妨げるだけです。
(リーディング番号:1608-1)

エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集 P55

昼間運転をしている時、狭い道でどちらが譲るかとう事で揉めてしまいました。
こちらとしては坂道をほぼ登りきったところだったので相手にバックをしてもらいたかったのですが、相手は8人くらい乗れそうな四角い大きな車で、「後輪駆動だからバックができない」とのことでした。

私としては相手のその言葉が信じられずにちょっと突っ込むと、怒鳴って胸倉をつかんできました。
それからもゴタゴタあって相手は寄ってきていた他の人にも暴言を吐いていたので、結局はこちらが譲って坂道を下りました。

正直、相手の態度に対しては突っ込みどころ満載なのですが、自分を振り返って気づいたことも多くありました。
相手は胸倉を掴んで来てもどこかたどたどしく、車から見ていた女性の手前、引っ込みがつかないような印象でした。
それで私も気持ちは冷静で、相手からしたらナメた態度に見えたのでしょう。
こちらが下がると言った後も、態度が気に食わないと絡んできていましたから。

この時、五日市剛氏が言っている「ありがとうございます」は思えていませんでしたし、相手の態度を内心では小馬鹿にしていました。
(言っている事に説得力がありませんでしたし、人の胸倉を掴む行為はまともな教育を受けているようには思えなかったので。)

しかし、こういう私の態度は悪意です。
今でも相手を言い負かしてやりたかった、論破して恥をかかせたかったという思いがあり、このように言い返せばよかったと頭の中でシュミレーションしてしまうのですが、もしそれを本当にやっていたら、争いの種を蒔くだけなんですね。

まだ感情的な部分が残っているのですが、相手を言い負かせなかった、そのことを少しずつ誇りに思えるようになって来ました。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

互いがますます補い合う者となるよう常に努力せよ

二人の関係において、互いがますます補い合う者となるよう、常に努力せよ。
そのようにすることで、より価値ある人生経験がそれぞれにもたらされる。
そうすれば、目的を持って生きることの美しさ、正しく生きることの美しさ、忍耐と愛の美しさが、なおいっそう増し、それぞれの人生において、より麗しいもの、より価値あるものとなる。
(リーディング番号:849-12)

エドガー・ケイシーが示す愛と結婚の法則 P26

夫婦についてのリーディングです。
しかし協同する集団にも当てはまる言葉です。

補う者は補ってもらえる者でもあります。
これはスピリチュアルを持ち出さなくとも、人間関係の中で至極ありふれた現象です。

二人(ないしはその集団)の目指す理想は何でしょうか。
意志は現象を引き寄せます。
意志が一致して同じ方向を向いているのなら、自然と補い合い、その力は相乗効果で増加していくのです。

協同を妨げるものはたいてい、我執から来ます。
より価値ある人生経験は理想の前に自己を消し、理想に合理的に生きる事でもたらされます。

魂に機会を与える事が転生の理由です

問:自分を改めるのに失敗した魂はどうなるでしょうか。
答:それこそ転生する理由です。魂に機会が与えられるためです。人の意志はいつまでも創造主を拒み続けられるでしょうか。
(リーディング番号:826-8)

エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集 P307


機会は永遠です。
何度でも何度でも、目の前の壁を乗り越えるまで、機会は与えられ続けます。

乗り越えるタイミングは人によって異なりますが、乗り越えること自体は人の義務です。
その義務を放棄する事は出来ません。
放棄した気になったとしても、将来や転生によって、必ずまた目の前に現れてきます。

乗り越えなかった機会は負債のようなものですから、清算するまではいつまでも転生を越えて付きまといます。
それは本当は魂が成長するための恩恵なのですが、逃げ続ける人にとっては無間地獄のように感じるかも知れません。

どうせ逃げられないのなら、それが機会だという事に認識を改め直し、いかに逃げるかではなく、いかに乗り越えるかを考えていきたいものです。

自分を全体に融和させるまで、転生はいつまでも続きます。

魂がすすんで全体の一部となり、自分を全体に融和させるまでは、転生あるいは「機会」はいつまでも続きます。
(リーディング番号:6264-8)

エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集 P24


人生では自分が蒔いた種は必ず自分で刈り取るようになっています。
良いものを蒔けば実りある収穫を、悪いものを蒔けば毒の実を食らう事になります。

冒頭の言葉では「機会」と表現されていますが、その「機会」を生かせなければ何度でも同じ試練を繰り返す事になり、それはあたかも無間地獄のようなものです。

前世療法でもいくつもの転生に渡って同じテーマに躓いているケースがあります。
どの時代にも本人が抜け出す機会はあったのです。
しかし頑迷な生き方に固執したため、どの人生でも悲劇で幕を閉じています。

世界に不幸をばら撒く人は、いずれその不幸が自らに返ってきます。
そしてそのことに気づくまで、試練はいくつもの転生に渡って続きます。


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プロフィール

enju3946

Author:enju3946
 実学の視点からスピリチュアルを大切にしている臨床心理士。熊本市に在住ながら、仕事やドライブで熊本県を動きまわっています。これまでに児童養護施設、こども家庭支援センター、スクールカウンセラー、専門学校の非常勤講師、病院、若者サポートステーション、刑務所と、様々な職場で働いてきています。

 私にとって不毛な議論をするつもりはないので、スピリチュアルが苦手な方は価値観の一つとしてお読みください。
 私自身それを絶対化して人に強制するつもりはありません。

熊本代替療法研究会 会員

熊本県臨床心理士会 会員

心理系学会への入会は多数。

パソコン関係、カメラが趣味。

CLANNADは人生。

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