人を恨み、悪意をもち、争いの種を蒔けば、内なる自分の平和と満ち足りを妨げるだけです。
(リーディング番号:1608-1)エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集 P55
昼間運転をしている時、狭い道でどちらが譲るかとう事で揉めてしまいました。
こちらとしては坂道をほぼ登りきったところだったので相手にバックをしてもらいたかったのですが、相手は8人くらい乗れそうな四角い大きな車で、「後輪駆動だからバックができない」とのことでした。
私としては相手のその言葉が信じられずにちょっと突っ込むと、怒鳴って胸倉をつかんできました。
それからもゴタゴタあって相手は寄ってきていた他の人にも暴言を吐いていたので、結局はこちらが譲って坂道を下りました。
正直、相手の態度に対しては突っ込みどころ満載なのですが、自分を振り返って気づいたことも多くありました。
相手は胸倉を掴んで来てもどこかたどたどしく、車から見ていた女性の手前、引っ込みがつかないような印象でした。
それで私も気持ちは冷静で、相手からしたらナメた態度に見えたのでしょう。
こちらが下がると言った後も、態度が気に食わないと絡んできていましたから。
この時、五日市剛氏が言っている「ありがとうございます」は思えていませんでしたし、相手の態度を内心では小馬鹿にしていました。
(言っている事に説得力がありませんでしたし、人の胸倉を掴む行為はまともな教育を受けているようには思えなかったので。)
しかし、こういう私の態度は悪意です。
今でも相手を言い負かしてやりたかった、論破して恥をかかせたかったという思いがあり、このように言い返せばよかったと頭の中でシュミレーションしてしまうのですが、もしそれを本当にやっていたら、争いの種を蒔くだけなんですね。
まだ感情的な部分が残っているのですが、相手を言い負かせなかった、そのことを少しずつ誇りに思えるようになって来ました。
theme : スピリチュアル
genre : 心と身体