どう弁解しようとも、あなたが隣人をどう扱っているかが、あなたの本心を証しするものです。
あなたが神にどう対応しているかは隣人への対応でわかります。
(リーディング番号:3684-1)エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集 P43
ここには
“どう弁解しようとも”と書かれています。
どんなに合理化、自己正当化をしようとも、相手への接し方に誠実さがなければ、神に対しても誠実さがないことになります。
全てのことには意味があるという必然の考え方からすると、自分の身も周りにいる人たちは偶然の産物ではありません。
中には良い人ばかりではなく、気が合わなかったり、一方的にこちらを不愉快にするような人もいるでしょう。
しかしそういう時こそ自分を見つめなおすチャンスになります。
自分にとって都合の良い人としか付き合わず、困っている人がいても損得勘定でしか助けないとしたら、神に対してもご利益を期待してしか祈っていないことになります。
そしてあなたに対しても、損得勘定でしか付き合わない人たちばかりが集まるでしょう。
一方で人に愛や誠実さのない態度をしていては、神に祈りを捧げても時間の無駄です。
神を賛美するなら、その創造物である人もまた大切にしなければなりません。
神への対応は祈りの時間や作法ではありません。
神の祝福の水路として、どのように世界と接しているかが問われます。
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