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生命の目的はこの地上をよりよき住まいにすることにあります。

生命の目的は欲望を満足させることではありません。
魂の意識するこの地上を、よりよき住まいにすることにあります。
(リーディング番号:4047-2)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P189

どのようにする事が魂の成長になるかです。
心の奥底から湧いてくるニーズが霊的理想に基づくものなら、それを行動にしていく事は魂の波動を高めます。
しかし肉の欲望に基づくものなら、それは麻薬のようなものです。
瞬間的な心地良さはあるでしょうが、それで満たされることはなくより強い刺激を追い求め続けることになります。

そして本来“自分のため”と“世の中のため”は一致しているものです。
どちらにバランスが傾いても歪みとなり、両方に好ましくない結果となります。

この地上をよりよき住まいにしようとする事が、自らの成長、生きがいにもつながってくるのです。

神と共にあるという自覚よってわたし達の孤独や不安は一掃されます。

神と共にあるという自覚が深まるにつれて平安がもたらされ、
それによってわたし達の孤独や不安は一掃されます。

『神の探求〈1〉』P193

神が共にあるという自覚は、将来への確信でもあります。
人生で究極の将来展望は『死』ですが、神はそこにも保証をもたらします。

神、あるいは仏でも呼び方は何でも構いませんが、それを受け入れるも否定するも人生は自由です。
どのような人生を過ごそうとも、それが学びなのでしょうから。

ただ学びを重ねていくことで、やはり神に敬虔にならざるを得ないのではないでしょうか。
もちろんそれを否定することもまた自由ですが、それは堅くなに目をつぶり現実が見えていない事なのかも知れません。

狂信ではいけませんが、冷静さと感覚のバランスをとる事で見えてくるものがあります。

理想を表現するために心と体を使っているかどうかを気にしなさい。

太るとか痩せるとかばかりに気をとられていないで、
理想を表現するために心と体を使っているかどうかを気にしなさい。
(リーディング番号:308-8)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P150

何をするにしても、目的を見失ってはいけません。

例えば、あなたがお金持ちになりたいとしましょう。
それは何のためですか?
きっと幾つかの願望が出てくるでしょう。
ではそれらが全て叶ったとして、あなたは死の間際に満足な人生だったと振り返ることができますか?
それらは、あなたが生きた証として価値をもたらすものでしょうか?
お金は持つことに価値があるのではなく、それをどのように使うかに価値があるのです。

同様に、自分の体型も霊的理想に沿っていなければ何の意味もありません。
カッコ良くなりたいから、モテたいから、健康でいたいから、様々な理由があるでしょう。
しかし更にその先にある、何のためにカッコ良くなりたいのか、モテたいのか、健康でいたいのか、そこが問われるのです。

理想が表現できなければ、どのような美貌、健康も価値はありません。

義務と愛と理性が一体となるときに心は普遍の愛に近づきます

義務と愛と理性が一体となるときに、
心は普遍の愛に近づきます。
(リーディング番号:31-1)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P35

孔子は70歳での理想を従心(心の欲するところに従えども矩〔のり:ルール〕をこえず)としています。
またカール・ロジャーズは晩年にカウンセリングに必要な条件に、「プレゼンス」を付け加えています。

これはどちらも良いことをしようとか、悪いことはしてはいけないとか、そんなことは思わないで無意識に振舞っているだけで、最善な生き方が出来ていることを指します。

老子の「無為自然」も同様でしょう。

はじめからこの境地に達する事は難しいでしょうが、誰もがここに辿り着くために輪廻を繰り返しているのです。

「千里の道も一歩から」、日々一歩ずつでも進んでいたいものです。

愛を学んでいなければ、 あなたは何も学んでいませんし、何も得てはいません

全世界を得たとしても、愛を学んでいなければ、
あなたは何も学んでいませんし、何も得てはいません。
(リーディング番号:3744-4)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P28

愛といっても仏教では愛欲を執着の一つだとして戒めています。
私自身、ここで愛について正確に説明できるほどの言葉は持ちませんが、ケイシーは熱心なキリスト教信者でしたし、イメージとしては神が全人類に向けている眼差しが愛だといえるのでしょう。

人は生きている上で様々な知識を得ます。
私も大学院まで行ったので教育期間は人並み以上に長く過ごしました。

しかし輪廻で考えれば、そのようにして得られた知識はほとんど来世に持ち越すことはできません。
感覚のようなものは残るのかもしれませんが、基本的に新しい人生では学び直すことになります。

では輪廻を通して何を学ぶのか、その答えが『愛』です。
ここから派生して様々な悟りがあるのでしょうが、その大元は『愛』になるのです。

これを学ぶために、私たちは数多くの人生を体験していっています。

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

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プロフィール

enju3946

Author:enju3946
 実学の視点からスピリチュアルを大切にしている臨床心理士。熊本市に在住ながら、仕事やドライブで熊本県を動きまわっています。これまでに児童養護施設、こども家庭支援センター、スクールカウンセラー、専門学校の非常勤講師、病院、若者サポートステーション、刑務所と、様々な職場で働いてきています。

 私にとって不毛な議論をするつもりはないので、スピリチュアルが苦手な方は価値観の一つとしてお読みください。
 私自身それを絶対化して人に強制するつもりはありません。

熊本代替療法研究会 会員

熊本県臨床心理士会 会員

心理系学会への入会は多数。

パソコン関係、カメラが趣味。

CLANNADは人生。

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