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ワールド・ヒーリング・メディテーション

日本エドガー・ケイシー・センターから『ワールド・ヒーリング・メディテーション』が送られてきています。
大晦日の午後9時に、できるだけ多くの人と読み上げたいそうです。


はじめに
はじめに神は
はじめに神は天と地とを創造された。
そして神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

今新たな始まりの時がやってきました。
私は神の共同創造者であり、私を通して神の善意が地上に表現され、
新たな がやって来ます。
それは愛と光、平和と理解の国です。
そして私はその真実の姿を明らかにするために自分の役割を果たしています。
私は自分から始めます。
私は生ける魂であり、神の御霊は私のなかに、私として住んでいます。

私と天の父は一つであり、父が所有されているものはすべて私のものです。
まがうことなく、私は神の子です。
私に当てはまることは、誰にでも当てはまります。
なぜなら、神はすべてであり、すべては神なのです。
わたしはそれぞれの魂に宿る神の御霊だけを見ます。
地上のすべての人々よ、
あなた方を愛しています。あなた方は私だからです。あなた方は私の聖なる自己なのです。
私は今自分のハートを開き、無条件の愛の純粋なエッセンスを流出させます。
それは、私の中心から放射される金色の光として見えます……
そして私の中にあり、私を通して私の上にも私の下にも放射される神の波動を感じます。
私は光と一つです。
私は光に満たされています。
私は光に照らされています。
私は世界の光です。

確固たる目的を持って、私は光を放ちます。
その輝きを解き放し、他の光と合流させます。
同じことが今この瞬間に世界中で起きていることを私は知っています。
たくさんの光が一つに溶け合うのが見えます。
光は一つではありません。私たちみんなが光なのです。
一筋の愛と平和と理解の光が移動しています。
地上の表面を横切って流れ、
幻想に支配されている各魂に触れ、その魂を啓蒙します。
そして闇があったところに、今、真実の光があります。
その輝きは強さを増して広がり、あらゆる生命体に満ちます。
今は一つの完全な生命の波動があるのみです。
地中のあらゆる生命界が反応し、
この惑星は光と愛に満ちあふれます。
完全なワンネスが存在し、
このワンネスにおいて私たちは神の言葉を話します。
分離の感覚を解消しましょう。
人間を再び神のもとに帰しましょう。
すべての心に平和を顕現させましょう。
すべてのハートから愛を流出させましょう。
すべての魂に許しを行き渡らせましょう。
理解を共通の絆にしましょう。
そして今世界の光から、
宇宙の崇高な存在が応えます。
神の活動が地中を癒し調和させています。
全能の神が明らかにされます。
目の前で惑星が救済されるのが見えます。
そして世界は幻想から目覚めます。
これが「地の上では、御心にかなう人々に平和があるように」という宣言のはじまりです……
なぜなら魂に許しが行き渡り、
すべての心が完全に理解し合い一つになっているからです。
アーメン。



未来への祈りを込めて。

いわゆる国家資格問題に関する見解

完全に業界の内輪ネタですが。。。

日本臨床心理士資格認定協会の「緊急資格問題ワーキンググループ」なるものから、「いわゆる国家資格問題に関する見解」が郵送されてきました。
内容は既に他のブログに掲載されているので省略。

裕’s Object Relational World

A Forward-looking Child Psychiatrist

開業臨床心理士のコラージュ療法&雑学日記

これまでの情報だと国家資格は臨床心理士とは別に制定されるようでしたが、それに反対しているということでしょうか。
正直、国家資格の全体像が見えないのでこの見解がどのくらい的を射ているのか分からないでいます。

ただ前の二資格一法案も分かりにくいものでしたが、臨床心理士と新たな国家資格が併存するとしたら、それも同様に複雑になってしまいます。
併存させるのならその明確な利点を出してもらいませんと。

また臨床を全くやらなくても大卒で取れる資格に「認定心理士」がありますが、これをカウンセラーの資格のように誤解させる書き方をしているサイトを見かけます。
もし新たな国家資格が臨床能力がなくても「~心理士」と名乗れるなら、今以上にクライアントの誤解を助長する可能性があります。
そうなってしまうと国家資格になることが誤解にお墨付きを与えることになり、ひいては国民の不利益になるともいえます。

一般には「~心理士」イコール「心理カウンセラー」なのですから、そこを踏まえての受験資格なりカリキュラムなりにして欲しいものです。

あ、余談ですが誰か「認定心理士」についてSD法でもして、どれだけ勘違いさせやすい名称か検証してくれませんかね??

生命の目的はこの地上をよりよき住まいにすることにあります。

生命の目的は欲望を満足させることではありません。
魂の意識するこの地上を、よりよき住まいにすることにあります。
(リーディング番号:4047-2)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P189

どのようにする事が魂の成長になるかです。
心の奥底から湧いてくるニーズが霊的理想に基づくものなら、それを行動にしていく事は魂の波動を高めます。
しかし肉の欲望に基づくものなら、それは麻薬のようなものです。
瞬間的な心地良さはあるでしょうが、それで満たされることはなくより強い刺激を追い求め続けることになります。

そして本来“自分のため”と“世の中のため”は一致しているものです。
どちらにバランスが傾いても歪みとなり、両方に好ましくない結果となります。

この地上をよりよき住まいにしようとする事が、自らの成長、生きがいにもつながってくるのです。

神と共にあるという自覚よってわたし達の孤独や不安は一掃されます。

神と共にあるという自覚が深まるにつれて平安がもたらされ、
それによってわたし達の孤独や不安は一掃されます。

『神の探求〈1〉』P193

神が共にあるという自覚は、将来への確信でもあります。
人生で究極の将来展望は『死』ですが、神はそこにも保証をもたらします。

神、あるいは仏でも呼び方は何でも構いませんが、それを受け入れるも否定するも人生は自由です。
どのような人生を過ごそうとも、それが学びなのでしょうから。

ただ学びを重ねていくことで、やはり神に敬虔にならざるを得ないのではないでしょうか。
もちろんそれを否定することもまた自由ですが、それは堅くなに目をつぶり現実が見えていない事なのかも知れません。

狂信ではいけませんが、冷静さと感覚のバランスをとる事で見えてくるものがあります。

もろびとこぞりて

今日はクリスマス・イブ。
一般には明日がキリストの誕生日ですね。

歌詞はウィキペディアから引用。



諸人(もろびと)こぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり

悪魔のひとやを 打ち砕きて
捕虜(とりこ)をはなつと 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり

この世の闇路(やみじ)を 照らしたもう
妙なる光の 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり

萎(しぼ)める心の 花を咲かせ
恵みの露(つゆ)置く 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり

平和の君なる 御子を迎え
救いの主とぞ 誉め称えよ
誉め称えよ 誉め、誉め称えよ

【YouTube】てんつくマン 講演会

中村文昭氏が言及していた事で、前からちょっと興味を持っていた人。



最後に言っていた「まぼろし、まぼろし」は色即是空を意味しているのでしょうか?
ネタのようでいて、実は奥深いメッセージが込められているのが素晴らしいですね。

1月にはこのてんつくマンの自主映画の上映会&トークショーが熊本であるので、行ってみようと思っています。

心理士ユニオンが要求書を提出

私も前は施設の職員だったので、心理士ユニオンの動向に関心を持っています。
元同僚の心理士はまだ施設で働いていますし、また他領域の心理士も待遇を考える上で一つの指標となるでしょうから。

心理士ユニオン 東京都・事業団に要求書を提出

ただ心理士っていると(そしてその人が有能なら)その存在意義が実感できますが、いないならいないで問題に感じることも少なくなかったりします。
最近は心理の知名度が上がってきていますが、元々は施設にも病院にも学校にも心理士はいなかったわけですから。

一例として、学校や病院がテーマのドラマがあったとしてもあまり心理士は出てこないですよね?
まあストーリー上、主人公が活躍する必要がありますからそこで心理士が内面の部分を引き受けすぎると、そもそもドラマ(特にヒューマンドラマ)が成立しないという事情もあります。
ただ心理士がいなくても(むしろいないほうが)ドラマになるという構造が、心理士の立場を象徴しているように思えます。

また心理士側の人数過多の問題もあります。
前に参加した研修会でこんな話を聞きました。
県の臨床心理士会に心理士の募集依頼があったのですが、条件がかなり悪かったそうです。
それで一度はお断りしたのですが、先方から一応は募集依頼を回して欲しいと言われて情報を流すと、複数人の募集があったそうです。

つまり臨床心理士は人が余っている状態なので、条件が悪くてもそれで働くしかないということです。

そもそもが結果の分かりにくい仕事で、その上安く買い叩くことができる状況なのですから、この辺も待遇が改善しない要因なのかも知れません。
(※結果の分かりにくい仕事だからこそ、やっている事を理解してもらえるように勤務先では努力していますけどね)

うつのカウンセリングで月3万円

生活保護の母子加算についてのニュースですが、これはいただけません。

「母子加算復活の維持を求める緊急会見」が17日、東京都千代田区の弁護士会館で開かれました。

(中略)

夫の暴力から避難している母親は「うつのカウンセリングで月3万円、子どもの保育園に3万5千円。生活保護費の半分以上がこれでなくなり今でもぎりぎりの生活です」と話しました。


医療機関で保険診療なら、生活保護ではなくともカウンセリングで月3万はありえません。
うつなら医療機関にかかり薬を処方してもらうのが原則です。
ただしうつになった原因に心因性も考えられるので、そこはカウンセリングが必要なのは分かります。

ただし今の時代、安くカウンセリングを受けられる場所もあったりします。
精神科で医師の指示でカウンセリングを受けるのなら保険診療内ですし、
臨床心理士の指定大学院がやっている相談センターだと、一回で3000円前後だったと思います。

うちの病院なんか地域貢献のつもりなのか、生活保護に限らず私にやらせているカウンセリングはタダです。
(まあ当院は例外かも知れませんが)

こういう社会資源がある中で、カウンセリングで月に3万はないでしょう。
個人負担でやるぶんには勝手ですが、生活保護だったら保険診療の範囲内にしておこうと思わないのですかね?


しかしこのカウンセリングの件は、母子加算というよりも保険制度の問題です。
カウンセリングが保険診療に入っていれば生活保護なら負担がなく、こういう事は問題は起こらないわけですから。

ニュース自体は批判的に見ていますが、国家資格化からしたら良いタイミングでの問題提起かも知れませんね。
生活保護者に他の医療行為と同様に、カウンセリングを受ける権利を認めろという事ですから。
そのためには心理士が国家資格化して、保険診療に組み込まれる必要があります。

美人時計

ふと見てしまうサイト。
iGoogleのガジェットに登録していますかおまる

美人時計

Mother 1-2-3 - Eight Melodies

昨日に引き続きMOTEHRの曲。
これは歌が入っていないバージョンです。
最後に出てくる歌詞で特に涙腺が緩みます。。。

EarthBound Zero (MOTHER) - Eight Melodies

好きなゲームの、特に好きだった曲。
ゲームで感動して泣いたのはこれが最初だったかも。
画面は海外のもののようですが、日本ではMOTHERというタイトルでした。

他人の不幸 科学的にも蜜の味だった

だいぶ前のニュースですが、今になった知ったので備忘録に書き込み。
妬ましい人物に不幸が訪れると、報酬を受けたときの心地よさにかかわる脳の部位が働くという。

つまり妬んでいる相手が不幸な目に合うと快感だと。
・・・人間って浅ましいですねぇ。

でもこれで溜飲を下げたとしても、自分が誰かを妬む立場なのは変りないですよね。
これの中毒になっている人はいつも不平不満で、誰かを引きずり下ろすことばかり。

どうせなら妬まなくてすむように、自分自身を高めていく事で感じる充実感、この心地よさを大切にしたいものです。
他人が不幸になったからといって、自分が幸福になるわけではないのですから。

理想を表現するために心と体を使っているかどうかを気にしなさい。

太るとか痩せるとかばかりに気をとられていないで、
理想を表現するために心と体を使っているかどうかを気にしなさい。
(リーディング番号:308-8)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P150

何をするにしても、目的を見失ってはいけません。

例えば、あなたがお金持ちになりたいとしましょう。
それは何のためですか?
きっと幾つかの願望が出てくるでしょう。
ではそれらが全て叶ったとして、あなたは死の間際に満足な人生だったと振り返ることができますか?
それらは、あなたが生きた証として価値をもたらすものでしょうか?
お金は持つことに価値があるのではなく、それをどのように使うかに価値があるのです。

同様に、自分の体型も霊的理想に沿っていなければ何の意味もありません。
カッコ良くなりたいから、モテたいから、健康でいたいから、様々な理由があるでしょう。
しかし更にその先にある、何のためにカッコ良くなりたいのか、モテたいのか、健康でいたいのか、そこが問われるのです。

理想が表現できなければ、どのような美貌、健康も価値はありません。

サンクス・イルミネーション '09(再春館ヒルトップ)

阿蘇くまもと空港の近くにある再春館ヒルトップで、イルミネーションを見てきました。
休日だと3時間待ちでも入れなかったりするそうですが、この日は小雨が降っていたこともあり、全然混まずにスムーズに進行。

ただ撮影的には、ちょっと混むくらいが止まる時間があって良いのかも。
ドライブスルーなので車から降りられず、所々に人が立っていて止らないようにと促していました。
ここに載せた写真は比較的ブレていないものを選んでいるのですが、イルミネーションとしてはもっと素晴らしいものがたくさんありました。

またドライブスルーとは別に、車から降りて撮影できる場所も用意されていました。


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最初に目に入るオブジェがこれ。

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イルミネーションは11月下旬からクリスマスの時期まで続きます。

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光のトンネル。ここを車で通ります。

20091209_181641_2.jpg
写真では分かりませんが、流れ星のような演出もありました。

20091209_182724_2.jpg
ここは車を降りての撮影エリア。このトンネルもくぐることができます。

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雨で漏電してはじめは点灯していなかったのですが、ありがたいことに途中から回復しました。

義務と愛と理性が一体となるときに心は普遍の愛に近づきます

義務と愛と理性が一体となるときに、
心は普遍の愛に近づきます。
(リーディング番号:31-1)

『エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫—エドガー・ケイシー名言集』 P35

孔子は70歳での理想を従心(心の欲するところに従えども矩〔のり:ルール〕をこえず)としています。
またカール・ロジャーズは晩年にカウンセリングに必要な条件に、「プレゼンス」を付け加えています。

これはどちらも良いことをしようとか、悪いことはしてはいけないとか、そんなことは思わないで無意識に振舞っているだけで、最善な生き方が出来ていることを指します。

老子の「無為自然」も同様でしょう。

はじめからこの境地に達する事は難しいでしょうが、誰もがここに辿り着くために輪廻を繰り返しているのです。

「千里の道も一歩から」、日々一歩ずつでも進んでいたいものです。

Google日本語入力

Googleがまた新しいサービスを提供開始しました。
今度は日本語圏には必須なIME(Input Method Editor:入力されたアルファベットを日本語に変換するソフト)です。
Google 日本語入力

はるか昔はATOK、今ではWindowsに標準で入っているIMEを使っている人がほとんどでしょうが、このIMEの性能によって文字入力の効率が全然違ってきます。
今までは別に登録しなければ出てこなかった自分の名前が、最初から変換できたのには軽く感動しました

またネットで話題になっているのは「サジェスト機能」。
携帯電話の予測変換のように、入力された文字から続きを予測してくれる機能なのですが、かなりマニアックなものも含まれています

20091204_1.jpg
真ん中のは赤い彗星のセリフですよね?


20091204_2.jpg
「劉備ガンダム」って何??
またこの続きには「劉備玄徳」もありました。三国志を含め、かなりの人名や固有名詞を網羅しているようです。


20091204_3.jpg
2chネタも当然のごとく押さえてあります。


まだ公開されたばかりでβ版でもありますので、これからどう発展してくのか楽しみです。

ちなみに家内の名前は変換されなかったので辞書登録しておきました。
いつか最初から変換できるようになれば良いな(^人^)

寺に集う若者たち

今日の熊本日日新聞の記事(クリックすると拡大します)。
20091203.jpg

この熊本市長嶺東の広福寺、高校時代の先輩がいるんですよね。
またうちが檀家でもあるので、一ヶ月ほど前に法事でお会いしたばかりでした。

まず読んで、私が大学時代によく顔を出していた『福岡人間関係研究会』を思い出しました。
そこは私の大学院時代の恩師がやっていたグループで、月一で開催されています。
いわゆる通い型のベーシック・エンカウンター・グループの場で、集まったメンバーで時を共有し、話したいことがある人は話し、聞きたい人は聞き、素の自分を大切にできる空間でした。
この記事にある仏青がどのようなところかは分かりませんが、もしかしたら大学時代の私が福岡人間関係研究会に通っていたのと同じようなものを求めて、ここに顔を出している人もいるかも知れないなと思いました。

また、ちょうど昨日のブログで寂しさについてのニュースを取り上げましたが、そういう意味でも興味深い記事に思いました。
私が福岡人間関係研究会に通ったのも、心理の勉強という面もありましが、結局はつながり感と求めていたように思います。
寂しさに埋没しないためには、生身の人とのつながりしかありません。
そういう機能を持っている会でもあるのかも知れません(先輩、良い活動しているなぁ)。

自分自身はもう青年という歳ではないけど、この広福寺までは徒歩10分くらいだし、良かったら今度覗いてみたいな。

寂しさはインフルエンザのように「感染」

孤独感について以下のような研究結果がニュースになっていました。
・寂しいと感じている人は悲しげな気持ちを周囲の人に波及させる傾向があり、最終的に社会から孤立していくことが分かったとしている。

・寂しさは寿命を縮めかねない精神的および肉体的な疾患とも関係するため、社会は寂しさを正しく理解し、寂しさを感じている人が「社会の端」に行く前に手助けすることが重要だとしている。


私の仕事はここにアプローチしている意味合いがすごく強いと感じています。
寂しさは目には見えませんが、人をじわじさと蝕んでいきます。
これまでの経験でも、問題の根底には社会からの孤立感があるということが何度もありました。

私は心理の仕事をしていく上で個人面接以外にもグループワークに力を入れていますが、それは孤独感や社会からの孤立感を少しでも軽減したいからです。

人は一人では生きられない、当たり前のことですが、改めてその大切さを感じさせる記事でした。
時計
プロフィール

enju3946

Author:enju3946
 実学の視点からスピリチュアルを大切にしている臨床心理士。熊本市に在住ながら、仕事やドライブで熊本県を動きまわっています。これまでに児童養護施設、こども家庭支援センター、スクールカウンセラー、専門学校の非常勤講師、病院、若者サポートステーション、刑務所と、様々な職場で働いてきています。

 私にとって不毛な議論をするつもりはないので、スピリチュアルが苦手な方は価値観の一つとしてお読みください。
 私自身それを絶対化して人に強制するつもりはありません。

熊本代替療法研究会 会員

熊本県臨床心理士会 会員

心理系学会への入会は多数。

パソコン関係、カメラが趣味。

CLANNADは人生。

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